ホリスターの歴史

創業者の遺産を受け継ぐ


当社が受け継いできたもの

ホリスター社のルーツは1921年、シカゴにてジョン・ディッキンソン・シュナイダーによって設立された『JDSプリンター・クラフツマン』という名の印刷会社です。

当初から、ジョン・ディッキンソン・シュナイダーの事業哲学は「第一級品のみが評価に値する」というものであり、そのシュナイダーが初めて医療に関わった製品は、フランクリン・ホリスター社が発注した出生証明書でした。 本来、事務的な証明書としてシンプルであった出生証明書を、彼の哲学である細やかな心遣いにより見事な高級出生証明書として製品化し、同社は高品質の製品とサービス、そして優秀な人材で知られるようになりました。

医療製品における技術革新

その後、同社は印刷業界から医療製品業界へと進出していき、ホリスターブランドにて高品質の製品やサービスを開発しました。1960 年代初頭、家族にオストミー患者がいる従業員が シュナイダーに、オストミー製品を開発するアイデアについて話しました。ダイナミックな技術革新と高品質の製品により、ホリスター社はストーマケアに革命を起こし、ストーマ造設手術を受けた人たちが切望していたソリューションを提供しました。その後、ホリスターは、継続してコンチネンスケア、ウンドケア(日本での取り扱いはございません。)、およびクリティカルケアに事業を拡大しております。

シュナイダーの遺産

ジョン・シュナイダーと妻の ミニー・シュナイダー は、社内に強い家族意識を作り出しました。彼らは ホリスター社を個人の尊厳、誠実、サービス精神、そして信託された者の責務という原理・原則の元に築き上げました。

現在も、ホリスター社は、社員所有の独立した会社であり、製造工場と配送センターを 3大陸に亘り保有しており、世界規模で製品及びサービスを提供しています。とはいえ、ホリスターの精神は 1921 年にシカゴで小さな印刷会社として設立したときのまま、ジョン・シュナイダーとミニ・シュナイダーの基本的な価値観と原理・原則は今でも会社の基盤となっており、「私たちの製品とサービスを使用する方々の人生を、より価値があり尊厳に満ちたものにします。」という同社の使命は変わっていません。